「先生、今日は無口ですねえ。
何かあったんですか?」
治療院に来た患者様にまでこんなことを言われるなんて、
おれっていったいどうなってしまっているんだろう?
昼休みは、
「オーイ!
ナオト、おまえ何だか食欲ないんじゃねえの?」
とか言われる始末だ。
今日1日の仕事を終えたのは、午後8時だ。
いつもなら、普通に帰れる道も、
今日はタクシーを使ってしまった。
家に入ると、母さんがいつものように説教を始める。
「あんたいいかげんに、こんな雨じゃないときくらいバスも出てるんだから、
まったく・・・」
もうそれ以上聞こえてこなかった。
適当に頷いた。
「母さん、
やっぱり結婚は、眼の見える人との方がいいのかなあ」
「は?
彼女23になったばっかりでしょ?
あんたが30、
まあいいんじゃないの?
あの人一人で住んでるんでしょ?
こんど連れてきなさいよ!」
「それが・・・」
「けんかでしょ?
わたしは知らないわよ。
あんたに付き合ってる暇ないの、
さっさと荷物部屋に置いて、
ご飯食べちゃいなさい!」
俺は溜息をつきながら、
2階の自室に行った。
実は怖いのだ。
アズサと付き合った、これが俺の最初で最後の本当の恋愛だと思っていた。
しかし、昨日彼女から別れを告げられた。
俺は、彼女の幸せを大事にしたいなんて、綺麗事を言いながらも、
電話口で、不覚にも涙を流してしまった。
やはり、俺は弱い男だ。
この年になるまで、
女と二人で遊んだことはないとは言わないが、
飲みに行くとか、
お茶するとか、
お付き合いもしたが、相手を幸せにするには、眼の見えない俺には限界だった。
だから、何も手が出せなかった。
今となっては、
なんとなく過去の女たちも
俺に、いろいろとおとなの関係を求めてきたのだろう。
俺は、正直アズサにいろいろと教わったのかもしれない。
アズサは、やさしかった。
そのやさしさが、こんな結末になるなんて想像できなかった。
アズサの友達が撮影してくれたポラロイド。
棄てるに棄てられない。
この部屋にいるだけでも、空虚だ。
ベッドが置いてあり、パソコンがある。
本棚もある。
コンポもある。
しかし、空虚だ。
アズサは、マンションで、一人、この空虚感が日常なのだろう。
俺にぐちをこぼすこともあった。
俺はあいつをどうしてやっていいか、分からなかった。
アズサにもらったワイングラスが、台所にある。
そのグラスで、酒など飲めない。
「ナオト!
早く降りてきなさい」
飯食べて、ビールを冷やしておいた。
昨日飲んだのに、
今日もカンビールだ。
まあ、いいだろう。
午後10時。
俺はパソコンに向かっていた。
「今日はありがとう。
ナオトと抱き合えたことがすんごい嬉しくて、
眠れなさそうだよ。
でも、明日はきっといい朝を迎えられそうだね。
こんどあったら、もっとスキンシップしたーい!
ちょっとわがままでごめーん。
あとさあ、観覧車も乗ってみたいな、
見てるか見てないかってとこでキスするの。
ちょう憧れ。
今日は楽しかったー。
明日電話するまでちょい寂しい。
祭りの後の寂しさ?
って言ったらちょっとこどもチックだけど、ナオト世界で1番だいすきだよ、
おやすみ、あずさ」
「昨日はよく眠れた?
あたしは会社に行くのが憂鬱だよー、
いっつも全盲だって現実を押し付けられて、
ナオトと会ってるときが一番幸せ、
ねえ、こんどはもっと手を繋いで、どこかお散歩に行こうよ、
憂鬱だけど、仕事行かなきゃね、頑張らなきゃ、
じゃあ今夜の電話でね。
早くナオトの声が聞きたい」
あいつに、もっとメール返してやればよかった。
もっと癒してやることができたはずだ。
転職するとか、休職するとか、
いってるときに、
辛いあいつに何を言っていいのか分からなかった。
結局、励ますことしかできなかったし、
女特有の悩みは女に相談しろとか、
そんなことばかり言っていたような気がする。
後悔してももう遅いのだ。
小学生だったアズサは、あっと言う間に、おとなの恋をたくさんして、
その中で俺とは幸せになれないと悟ったのだ。
そして、他の男のところに行った。
俺の本心は、アズサは、学校でかわいがっていた後輩ではなく、
恋人になっていたはずなのに、
扱いは、小学生のアズサのときと変わらなかった。
やっぱビールなんて飲む気はしない。
風呂上りは、
何だか寂しいと思っていたら、
携帯に誰かから電話がかかってきた。
「もしもし」
「ああ、俺だよ」
「おう!
カズキ、久々じゃん」
「まあな、
それにしてもさあ、
パソコンの読み上げソフトで、いろいろいじってるだろ?
何でこういうのって無感情な読み上げなんだろうねえ」
「何へんなこと言ってるの?
分かった、おまえ仕事でしっぱいしてるんだろ?」
「俺が仕事で落ち込む訳ないだろ?」
「まあいいや、
用件だけいうよ。
来月また集まることが決まったからな、
おまえさあ、アズサとどうなってるの?
未だにかわいい後輩としてかわいがってやってんのかよ、
アズサ辛そうだったじゃん、
転職だの、仕事のぐちだの言って、
酔ったときのこと憶えてないのか?」
「憶えてる」
「あれは、本音だぜ」
「俺にはどうしてやることもできねえ、
誰か愛子さんにでも相談に乗ってもらえば、あいつも気分よくなるのかなあ」
「おい!ナオト、何とぼけたこと言ってるんだよ」
「は?」
「こんど集まるときにつれてこいよ」
「はあ」
「兄さん姉さん揃ったらアズサきっと元気出るんじゃねえのかなあ」
「分かった」
と言って、
電話を切った。
アズサとお付き合いしてること、もう破綻になったこと、全て言えなかった。
カズキは、少し眼が見えている。
だから、それなりに経験もしているのだろう。
少なくとも、俺よりは、不器用でないことは確かだ。
俺は、デート一つとっても、行くところが狭まってしまう。
アズサと外出するときは、アズサの親代わりになっている、
アズサの両親の友人の牧師夫妻がいろいろと送迎をしてくれたりしている。
アズサの甘えだと思った時期もあった。
でも、アズサなりに考えて頼んだことなのだったのだ。
初めて唇を重ねたのは、アズサだった。
抱きしめることも、キスをすることも怖かった。
どきどきしてしまった。
アズサに嫌われると思ったから・・・。
彼女は、わりと冷静だった。
そして、俺の胸が温かいと言っては、抱きついた。
そんな感覚も正直分からないのだ。
結婚を意識するようになった。
彼女となら、社会的支援を受けながらでも、
生活していけるのかなあとばくぜんと考えていた。
アズサは、どんな方向になったとしても、家のことはなるべくする、
と頑張って、今も社会的支援、ヘルパーとかを使っている。
俺はそれが甘えだと思った。
アズサの辛いのは、ちょっと病的ということを聞いた。
抑鬱にもなっているようだった。
俺にはどんな対応をしていいのやら分からない。
何だかもんもんとした日々を送ることになってしまいそうだ。
ある日曜日だった。
俺の自宅に電話がかかってきた。
たまたま俺が受けてよかったと思った。
「もしもし」
「あ、もしもし、ナオトくんかしら?
吉田正子です」
「あ、いつもどうもおせわになってます」
「あのですねえ、今夫がそちらに向かっているんです、
かってなお願いで申し訳ないのですが、アッチャンに会ってくれませんか?
何だか出先で急に恐怖感が襲ってきたとかで、
どうしても会いたいっていうものですから、
部屋の電話の横に地図があったので、夫に行ってもらったんです、
すみません、
本当に」
「あ、分かりました」
いつも駅に迎えに来てもらうのに、なぜ地図が置いてあったのだろう?
あ、そういえば、万が一のときはと言って渡しておいたのだった。
でも、あいつの両親から、
あいつのマンションに入ることは許されていない。
だけど、先生ご夫妻がいるから大丈夫なのだろう。
あいつは、何か辛い思いでもしたのだろうか?
俺が行ったところで、ちゃんとした対応ができるのだろうか?
何も持たずに行っていいのだろうか?
いろんな疑問が沸いてきたが、とりあえず、行く準備をしなければならない。
まもなく、吉田牧師が迎えに来てくれた。
「このたびは・・・」
「あ、とにかく乗ってください、
すみません、
礼拝にも顔を出していないのに、
こんなことやっていただいちゃって・・・」
「いいんだよ、
アズサちゃんだって、洗礼受けてないけど、教会の家族だし、
細かいことは気にしない」
アズサのマンションに到着した。
エレベーターで3階に上がる。
入った感じ広そうだ。
「あら、あなた、ありがとう」
「いや、アッチャンは?」
「今ベッドにいるの」
「アッチャン、ナオトくんきたよ」
「失礼します」
「ナオト」
辛そうな声だった。
「ごめんなさい、ナオト」
「え?」
お互いだまってしまった。
「アッチャンの手よ」
正子先生に誘導され、俺は、アズサの手を久しぶりに触った。
「ねえ、ずーっと握っててくれる?」
「いいけど」
「あのさあ、ごめん、
本当に、あたし、どうかしてた」
アズサが涙声だったので、
頬を触ってみた。
涙を拭って俺は、あいつの言葉を待つことにした。
俺にも責任がある。
「あたし、さっき外歩いてたら、
襲われちゃって、
スカートに手を入れられたりとか、
胸を触られたり」
「正子、
夕飯作るか」
と言って、二人は、台所に消えた。
アズサは小さな声で言った。
「浮かんできたのが、ナオトだった、
ナオトに何してほしかった訳じゃないの、
ただ、こうして、一緒にいて、手を握っていてくれるのが本当に幸せ」
「俺は、あれからいろいろ考えた。
おまえいつもまめにメールくれてたよな、
ずーっと同じメール読んでたり、
おまえ、けっこういろんなこと書いてくれたんだよな、
俺ももっとまじめに読んでればよかったと思ったよ。
俺はこんなキャラだけど、言うよ。
おまえのこと、世界で1番好きな女の子だと思ってる」
「嬉しいよ、涙出ちゃうよ。
ごめんなさい、ナオト。
ナオトはさあ、家族みたいな愛をくれたんだよね」
「俺は恋愛に自信がないんだよ」
「本当はね、
何もいらないの、
ナオトが触れてくれるだけで幸せなの。
あなたじゃなきゃだめなの」
「俺は経験不足だ」
「不器用に女の子扱ってるって感じでかわいいよ」
「言ったな」
「褒め言葉」
「先生がたの眼があるから、どうしてもうちのマンションって訳にはいかないけど、
ナオトがいやじゃなかったら、
誰にも見られないところで、
二人でゆっくりしない?」
「俺そういうのうといしなあ」
「あのね、好きだと思ってちょっと関係持っちゃった男の子は、
やっぱりナオトには代えられなかった、
何かが・・・」
「もういいよ、辛いことはもう思い出さないで」
俺にはそう言うことしかできない。
でも、せいいっぱい言った。
「やっぱりナオトなんだなあって思った、
浮気しちゃってごめんなさい」
「俺もおまえのこともう少しちゃんと見るよ」
「分からないことがあったら恥ずかしいことでも聞いてよ」
「分かった」
「あ、手に汗だよ」
「緊張しちゃって」
「あたしも」
「もう別れるなんて言わないから、一緒にやっていこうね」
「ご飯できたわよー」
「おいしい、
3月の鍋っていうのもいいよねえ」
「まだ夜は冷えるからねえ」
「アッチャンぐあいどう?」
「ナオトとしゃべってたら大分落ち着きました。
あとは、薬飲んでおとなしくしてます」
「もしもし、タカヒロあのー、今日は大丈夫だったから・・・」
「おまえもどりたいんじゃねえの?
本命のところに」
あたしは何も言えなかった。
タカヒロの声は、ちょっと寂しそうだった。
だけど、ナオトのところに帰ってきて、
何だか落ち着いた。
ナオトにもタカヒロにも、罪悪感はある。
でも、
ナオトは、あたしを攻めなかった。
包容力があった。
一皮剥けたのかな。
ナオト、こんどこそ、強がらないし、
嘘もつかないよ。
一生すてきなカップルでいられるように、無理しない程度に頑張ろうね。
ナオト、だいすきだよ。
眠るときに、ナオトの握ってくれた手を思い出しながら眠ったら、
久々によく眠れた。
朝は、すがすがしかった。
仕事は辛いけど、ナオトと今日も電話で話そう。
顔を洗ったら、
少し肌がいきいきしてるような透明感を感じた。
ナオト、綺麗になったよ。
おもわず独り言を言ってしまった。
鏡の前でにこっとしてみた。
外を歩いていたら、春の匂いがした。
花粉は辛いけど、春の匂いは好き。
春の匂いを感じながら、
ナオトの手の温もりを感じていた。
来年もずーっとその先も彼と一緒にいたいな。
ナオト、一緒にいようね。
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